あたかファーム・家族農業 安宅さんのインタビュー ~ オーガニックな暮らし ~
【あたかファーム】 家族農業
安宅ファームさんは縁あって寄居町に移り住み、働きながら「農あるくらし」を実践していらっしゃる素敵なご家族です。
自然に恵まれた環境の中で、本当の豊かさを求める姿勢の奥深さと、チャーミングで人当たりの良い人柄を併せ持った安宅さんをご紹介します。
― 本日はよろしくお願いいたします。色々とお話をお聞かせいただければと思いますが、まず安宅さんは寄居町のご出身ではないんですよね。
そうですね、生まれは千葉県です。
親父はもともと北海道の出身で、千葉に出てきて自分が生まれました。
ただお袋は体が弱く、自分が小学校4年くらいの頃に病気で亡くなってしまって。
それで親父の地元に引っ越して……だから自分の青春時代はほぼ北海道なんです。
だから地元を聞かれたら北海道言ってしまっていますね。
若い頃は結構どうしようもなかったんです(笑)
あんまり真面目な方ではありませんでしたね。
でもお酒が好きだったので、自分と仲間とでお酒を使ったような商売をやろうっていう考えはあって。
ただやっぱり地元でいると、みんな20歳くらいなので遊んでしまって。
やりたいと言いながら全然進展がなかったので「ちょっと関東でガッと稼いでくるわ」みたいな感じで出稼ぎのような形でこっちに来たんです。
― 商売のための資金を稼ぐために北海道から一人で出てこられたんですね。
そうなんですよ。最初は親族のツテがあった群馬の伊勢崎に。
ただやっぱり地元を離れると思ったより寂しくて、こっちでだんだんと友達も作ったり、今の嫁と出会ったりして。
本来は帰るはずだったんですけど、こっちで落ち着いてしまったんです。
― 伊勢崎から寄居にいらっしゃったのはなぜですか。
やっぱり飲食がずっと好きで、伊勢崎でもお酒を扱う会社の中に入って一応店長みたいにお店を任されるようになった頃に、今の嫁がアルバイトに来たんですよ。
それで付き合って、3年くらいして結婚するタイミングでここに来ました。
嫁の地元は美里町なんですけど、ここは嫁のお母さんのご実家だったんです。
前はここにもっと古い昭和の家が違っていて、おばあちゃんが住んでいて。
おじいちゃんを早くに亡くして、子供ももうみんな出ていってひとり暮らしだったんですよね。
それがお母さん達も心配だったみたいで「おばあちゃんのところに入ってくれ」と。
それでしばらくは家族とおばあちゃんとの共同生活になったんですけど、その生活は凄く良かったですね。
― 素敵な巡り合わせですね。昔は飲食のお仕事をされていたとのことですが、今は何のお仕事をされているのでしょうか。
配送業ですね。
その転職のきっかけも寄居に来たタイミングでした。
やっぱり飲食だと夜がメインだったので、嫁も子どもができたらなるべく昼間に働いてほしいということで。
― こちらに来て色々と生活が変化したのですね。そこから畑をされはじめたのは、元々興味を持っていたからですか。
いや。
子どもの頃は北海道の帯広という畑が多いところに住んでいたので、友達の実家が農家だったりしたんですよ。
だから夏休みとか冬休みとかアルバイトに行ったりしていたんですけど……正直大嫌いで(笑)
でも結婚したら嫁の親が米や野菜を作っていたので、一緒にやることになって。
そうしたら子どもの頃とは違って、そんなに苦じゃないというか……トラクターやコンバインに乗せてもらったりして、自分も車とかバイクが好きだったので、この年齢になってみると案外楽しいというか。
― 子どもの頃とは価値観が変わっていたのですね。
あとは子どもを畑に連れて行ったり、種を蒔かせたり苗を植えさせたりできるのが凄く良い環境だなと思って。
「あたかファーム」の様子をインスタでも上げているんですけど、「家族農業」というハッシュタグもつけるんですよ。
上の子も中学に上がったのでだんだん忙しくなってきているんですけど、でもやっぱり田植えや稲刈りという節目は家族で足並みを揃えるスタイルは今も継続しています。
世間的には「農業=ちょっときつい」みたいなイメージがあるし、周りにも「よくやるよね」とか言われるけど、別に無理してやっていなくて、自分のやれる範囲内でやっているし。
まあ見きれなくてダメにしちゃうこともあるけど、でもそこに生活をかけてないという……多分プロの農家さんからすればある意味お気楽な部分もあるので。
家庭菜園の域なので、そんなに緊張感はないですね。
― 畑によってご家族の絆が深まったり、成長のきっかけになっていたりするのですね。
そうですね、上の子なんかは畑に行くことも減ってきていますけど、でもイベントで出店とかすると着いてきてくれて売り子をやってくれたりとかしていますね。
真ん中の長男とか一番下の子なんかはもう、俺が畑にいると長靴に履き替えてきたりしますし。
例えばキュウリやトマトなどにしても、うちはまるっきり無農薬でやっているのでその場で囓っても安心できるところもありますから。
― お子様にとっても良い環境ですよね。
ただ単に畑をするだけではなく、有機無農薬で野菜を育てようと思われたきっかけはどこにあったのでしょうか。
なんだろうな……今の畑が200坪くらいの小さい畑なんですよ。
農業への入り口が嫁のお父さんだという話をしたんですけど、嫁のお父さんは出荷もしているので、普通に慣行農業で化成肥料を使って農薬を撒いて……というのも少し傍で見てきて、自分はそれを使わないでやってみたいなと思ったんですよね。この規模の畑なので。
あとは何となく「オーガニック」という言葉が聞き慣れてきた時代になっていたりとか、嫁もそういうのが好きで、裏山にある藤の蔓で蔓籠を編んだりとか、結構手作りで物を作ったりしているので。
― ご夫婦でオーガニックがお好きなんですね。
ここ末野に来た時に、この環境にひとめぼれしたんですよ。
北海道出身だから「すごく大自然のところから来たんだね」と言われるんですけど、実家の方は割と住宅地で。
だから寄居の、特に末野なんて裏にはすぐ川があって、周り山だらけでという環境が凄く良かったんです。
― この辺りは寄居の他の地域に比べても自然がより豊かで穏やかな空気が流れていますよね。
なんだろう、なるべく「不自由を楽しむ」じゃないけど……昔に習ったようなスタイルでいたくて。
買うのではなくて作るとか。物を大事にするとか。
畑についても、野菜を作るというよりは土を作っていく。
採ったものも食べるところは食べて、畑に返すものは返して、その循環循環で。
まだ2年くらいですが、そうやって人工的なものは土に入れずにやってみようというのが有機農業を始めたきっかけですかね。
― 自然を身を持って感じられるのはとても喜ばしいことですよね。
自分も裏山に行って遊ぶのが好きで。
そこにある木の根元に落ち葉が溜まるじゃないですか。
冬の冷え込みが厳しくなって山の土も締まってきた時に、その溜まった落ち葉の下の土を触ってみると、腐葉土みたいに凄くフカフカの土なんですよね。
そういう雑木林というのは人間の手が一切加わっていないじゃないですか。
誰に管理されているわけでもなく、夏になれば葉を広げて、花を咲かせて、秋には実をつけて、毎年自分の力で成長していく。
それを畑に持ってこられないかなと思って、それで裏庭に軽トラで行って、クヌギとかナラの木の落ち葉を何枚も集めて堆肥を作って投入しています。
それがうちの畑の全てというか、生命線なんですよね。
とにかく山の木に習った生命の循環ですね。
最初はやっぱり無知なんで色々と本買って読みながら並行してやったんですけど。
― どなたかに教わったりとかっていうことなかったんですか。
ないですね。
今はネットでも結構見ることができるので。
あと親が米をやっているので藁だったり籾殻だったり米ぬかというのは無償で手に入るので、それのみで野菜は作っています。
― 山に習った有機農業ということでされていますが、畑をしていて一番楽しいことはなんでしょうか。
楽しいことはやっぱり芽が出た時とかですかね。
基本的に苗を買ってきたりはしないので。
初年度は最寄りのホームセンターさんから種を買って撒いてやっていたんですけど、2年目の春にスタートするときに若干違和感があって。
畑でこれだけ農薬を撒かず化学肥料も使わないでいるのに、種は農薬や肥料を使って作られたものを撒いていることに「これは何か意味があるのかな」とちょっと気持ち悪くなって。
それで調べたら飯能に野口さんという、在来種を有機で作っている方がいて。
そこで種を買って、今年の春からは種から完全にオーガニックな農業というのを始めたんです。
でも今の市場だと、例えば野菜の美味しさを比べるのに糖度などが先にきて、甘いわけがないはずの野菜が甘いとか、見た目が重要視されたりしていますよね。
それはやっぱり人間がたくさん売るために品種改良した結果で。
ただそれは凄い努力の結果なので、俺は自分が有機で育てているからといって絶対に慣行農業の人を否定しないし、そういう人が日本の食を支えているわけだから尊敬しかないですけど。
― 凄く真面目に農業について考えていらっしゃいますよね。もう考え方も収穫量も家庭菜園の域を超えているような気がします。
そうなんですよね、家庭菜園としては正直食べきれないです。
だから最初はご近所に差し上げたりとか、子どもの学校関係で仲良くしている人に渡したりとかしていたんですけど。
そうしたら何人かが「こんなに貰ってばっかりじゃ悪いからお金払うよ」と言ってくれて。
でも「いや、こっちも趣味でやってることだからお金はもらえない」と言ってずっと断っていたんです。
ただ、お店を構えている人からも声をかけてもらうようになってきた時に、嫁とも話して、タダより高いものはないじゃないけど、これは金額を少し抑えつつ、欲しいという人にはお金を頂戴するようにしようか、ということになりました。
それでまず今年の春に、ニンニクが凄く取れたんですよ。
ニンニクは肥料食いなので植え付け時にみんなドカンと肥料をたくさんくれて、春になればまた追肥して太らせていくんですけど、うちは一切ノータッチで米ぬかだけで作ったので、そういう意味ではちょっと食べてもらいたいなと思って。
それで、インスタにちょっと「興味ある人メールください」みたいに書いたら1時間くらいで無くなっちゃったんですよね。
狭い町だからか分からないですけど、今はSNSの力を借りると結構反響がありますね。
イベントも自分で出店したりお客で行ったりとかもしますけど、最近オーガニック系は賑わっていますよね。
― そこまで反響が大きいとは……でも町内で作った野菜が町内で循環されるのはすごく良い流れですよね。
そうなんですよね、本当に。
でもちょっと残念だなと思うこともあって。
自分も一応市場を調べようと思って直売所を回ったりしたんですけど、値段が普通に作っている野菜と有機で作っている野菜でほぼ変わらないんですよね。
自分の目線で見ると、今の自分の野菜の作り方は「自分だからできる」と思っていて。
生活がかかっていなかったり、片手間だったり、あと面積の狭さだったり。
これが本職でやっている人で生活がかかっているとなると、あの値段でしか販売できないとなったら続けられる人はいるのかなって。
― ただでさえ農家さんは大変だと思いますが、その中でも有機無農薬で育てるとなるとさらに厳しいものがありますよね。
嫁の親ともよく話をするんですけど、将来的に大型スーパーも自分のところで野菜を作るようになるのではないかと思っていて。水耕栽培だったり。
自分も農業を始めて分かったんですけど、最近の日本の夏ってもう日本の夏じゃないですもんね。
そういう時期にしとしと降るはずの雨が、もうスコールや台風のようにドカっと……根っこをも腐らすような雨になっていたり。9月過ぎてもまだ40度近くあったり。
もう多分、これでは路地栽培で野菜を作っている人はどうしようもないですよね。
― 安宅さんは生活がかかっていないからこそできると仰っていましたが、これから農業はどうしていくべきだと思われますか。
地元の帯広でも農園をして野菜の販売をしている同級生がいるんですけど、彼は若い頃ホテルマンの営業をやっていたからか社交的な部分があって、農協を介さずに自分で東京や札幌などの大都市に販路を広げています。
今はインターネットがありますから、そうやってオンラインで自分で流通経路を切り開く能力が必要かなと思います。
まだ世の中は完全に景気が悪いですよね。
だから、いいものを買うことより安く多く買いたいというのが多分みんなの本音で。
本当に生活が苦しい方からすればオーガニックなどは「余裕だね」と見られがちだと思うんです。
自分も野菜に限らず手作りでいろんなことをやっていた時期があるんですけど「東京に行きなよ」ってよく言われたんですよね。
「寄居じゃダメだけど、東京行ったらそこそこ成功するよ」って。
自分の同級生もそうなんですけど、オンラインで販売したりすると、東京のお客さんが多いんですよね。
やっぱり東京の人っていうのは、一部かもしれないけれど、お金持ちの人が多くいて結構財布の紐が緩い。若い人に投資したいという人もいたりとか。
だからそういう人たちの目に留まるような商売をするために常にアンテナを向けていれば未来はあるけど、やっぱり田舎で昔の農家さんみたいに正直にやってくとなると大きくやるしかないですよね。でっかい農業機械を投資して、でっかい畑を所有して。
― これまでのやり方だとこの先ちょっと立ち行かなくなることが多くなってくるかも、ということですかね。
農業人口も極端に減っていくと思うんですよ。
今は農業に限らず全ての業界で強いところが一人勝ちするような流れがあるじゃないですか。
だから個人でやっているところは、本当にオンリーワンで強い商品を作っているところは生き残るけど、代々継いできても今の代で商売を終えるというところも、悲しいけど本業で配達を回っていると聞くので。
それはもうどうしようもないというか、この苦労は子供には背負わせられないみたいな話を八百屋さんでもお肉屋さんでもよく聞きますよね。
― 農業をする側も今までとは違う営業努力などが必要になってくるということですね。
やっぱり第一次産業だけじゃ厳しいかもしれないですね。
ちょっと頑張って加工まですると、やっぱりロスも当然なくなるし、それだけでも10倍くらいに値段が上がるので。唐辛子で七味作ってみたりとかトマトでケチャップ作ってみたりとか。
やっぱりどこの家でも夏にトマトを見せても、冬に大根を見せても喜ばないですよね。
まして財布を開ける人というのは結構希で「買う?」と聞いても「親が作ってるから」とか「隣の家が良くくれるんだよ」とか言われてしまう。
でもそこで大根のキムチを作ってみるとか。
ひと手間入れることも結構楽しいし、やっぱり好きなことを勉強するのも楽しくて。
でも周りのお年寄りって意外と知らなかったりとかするので、そういうことを情報共有したりとかすると、近所との年寄りとの距離もぐっと縮まったり、居心地良くなったりしますよね。
― こういう暮らしを始めて周りの方々とのコミュニケーションが円滑になったみたいな感じはしますか。
それはありますね。
もともと自分も嫁もお年寄りとの付き合いは嫌いじゃないのでずっとみんな仲良かったんですけど、やっぱり野菜作りを始めると普段どちらかといえばコワモテだったお爺ちゃん連中も。何か収穫が始まったら「うちの畑にあとで寄れよ」とか色々声をかけてきてくれて。
― 穏やかな暮らしでいいですね。
穏やかです。
お年寄りは子供も好きなので、学校帰りの子供たちも自然に入ってくるし。
何か凄くいいですよ本当に、そういうのどかな感じが。
― 今の暮らしはかなり充実していますか。
充実していますね。
農業を始めたのも、楽しそうだなって思ったところがスタートなので。
― 農業以外にも自然で遊んだりとかされたりしますか。
自然遊びは結構している方だと思います。
もともと自分も嫁も山登りが好きで。
一番最初に嫁と付き合い始めて登ったのが富士山だったんですよ。
そこから結構ハマっちゃって。
それで、山登るとやっぱり川が流れているから釣りをするじゃないですか。
釣りにもハマって……でも楽しいですよね、自然遊びは。
子供たちも小さい頃から結構連れ回したので、山も川も。
― 良い経験になってますね。とても充実している感じがします。
この時期が一番いいんですよね。
落ち葉集めとか来年度の堆肥作りはちょっと忙しいけど、野菜はゆっくりと成長してくれるので。
夏は毎朝草刈って収穫して……それだって追いつかないのに。
冬は昨日より今日の方がネギは美味しくなるし、白みも増えるし、ゆっくりゆっくりと成長してくれるので、ゆっくり向き合えるというか。
普通に暮らしていれば寒くて外に出たくなくなるけれど、野菜を作っていると収穫の楽しみだったり、その時々の環境に適応して味を上げてくる野菜があるので。
忙しい時は忙しいですけど身近に四季の流れを感じられますよね。
― 枯れ葉を集めてきて堆肥を作るんですか。
跳び箱みたいに、メーター四方で3段の箱を作ってあるんですよ。
そこに落ち葉と米ぬかと水を入れてガッツリ踏んで、というのをミルフィーユみたいに積んでいって。
あとは発酵具合を見ながら、発酵が進んでいないようだったらちょっと水分を足してあげるんです。
落ち葉は化学肥料みたいにガッとは効かないけど、ゆっくりゆっくりと。
― 今は充実した生活をされているということでしたが、安宅さんがこれからしたいことや展望などありますか。
有機は他所から栄養分を入れない農業なので、5年や10年という結構なスパンが必要だと思うんですよね。だから今のスタイルをブレずに継続させたいです。
あとは固定種を作っているからといって交配種を否定するのではなくて、交配種でも美味しいものは美味しいですから、そこは自分たちである程度柔軟に考えていきたいと思っています。
とはいえ固定種の野菜はやっぱり美味しいので、基本はそちらを貫きつつ。
寄居のトロナスとかまだ作ったことないけど作ってみたい品種もあるし。
最近は自分が望む望まないに関わらず、騒いでいただいけるようになってきて。
うちの野菜を食べたりお店で使ってくれた人がタグ付けとかしてくれて、色々と知らない人からも野菜は買えるんですかって問い合わせが来たりとか。
そんな状況にちょっと戸惑いがあるので、もうちょっと大人しくじゃないけど、やっぱりあくまでも家庭菜園なので(笑)
― あまり大きくさせすぎずに、原点を大切にする形ですね。
あとは寄居町で有機を頑張っている農家さんや、農業に限らずオーガニックを楽しんでいる人などと知り合うのは凄く励みだったりやりがいににもなるので、そういう人たちとの時間は大事にしたいですね。
― 気を張りすぎずに楽しんでいる姿がとても理想的です。
本当に面白いんですよね。
落ち葉を堆肥に入れているのだって、結局は土に住んでいる微生物の餌となるわけで。
微生物が糞をして土に柔らかい団子をいっぱい作ってくれて、それが畑に良い土になるんですけど、そこに虫との共存を凄く感じるというか。
ドラマを感じて本当に飽きませんよね。
― このインタビューを通して安宅さんが農業に対する時の純粋さと愛情をたっぷりと感じることができました。貴重なお話をありがとうございました。
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