閑々農園 佐藤さん(輪組)のインタビュー ~ オーガニックな暮らし ~
【 閑々農園 佐藤さん 】
佐藤さんは、37、38年前にタイトルに惹かれて手に取った「我ら百姓の世界」という本がきっかけで、寄居に来て、休みの時に農業を学びながら、皆農塾が始まると共に実習生になって、そのまま寄居町で有機農業を始めました。
佐藤さんも「よりい輪組」のメンバーです。
― まず最初に、そもそも農業を始められたきっかけをお伺いできればと思います。
僕は農家の生まれではなくて、千葉県の流山市出身で、東京に出て葬儀関係のサラリーマンを4年間やってて、その後脱サラして農業を始めました。
― サラリーマン時代から農業には興味はあったのですか。
たまたま「我ら百姓の世界」という本を見つけて。
その頃は百姓なんていう言葉はもうタブーになっていた時代だったので、そのタイトルに惹かれて手に取ったんですよね。
それで、その本が有機農業研究会が編集してるものだったので連絡を取ったら、坂根さんという皆農塾を始めた人から返事が来て。
その関係で寄居に来て、休みの時にちょっと見学させてもらったりしていました。
もともと「自営業でやれることはないかな」とずっと思っていたので、それがきっかけになって何回か来て、じゃあ自分でもやってみようとなって。
それで仕事を辞めてこっちに越してきました。
― 安定した職業をされていたのにお辞めになるなんて、凄い決断力です。
その頃は昭和60年か59年くらいだったんですけど、今と違って何でも仕事があった時代ですから。
それに僕は独身でしたからね、もしまた農業をやれそうもなかったら、帰ってきて何か仕事探せばいいやという感じでね。
― ただそれまで接点のなかった寄居町で、畑はどうやって探されたのですか。
昔はこの辺はみんな蚕をやっていたのですが、ちょうど蚕をやめる時期だったんですよ。
それで桑畑を貸したいという農家の人が多かったんです。
桑の木がぼうぼうに伸びちゃってて、もう荒れてるところがいっぱいあったんですよ。
そういうところに狙いをつけて、僕なんかじゃダメですけど、もともと紹介してくれた人に聞いてもらいました。
そうすると、「じゃあやりたいなら貸しますよ」みたいな感じで了承してくれて。
― それからはどんな経緯があったのでしょうか。
紹介してくれた方のところで1年間くらい実習しました。
まあ実習といっても適当でしたけどね(笑)
そして僕が実習している途中から皆農塾ができて、自然と僕もその所属になって。
― その当時、作った野菜はどこで販売していたのですか。
それは皆農塾と同じで個別に。
団地に行ってチラシ撒いたりして。
― 本育てて売るまで全部一人でされていたのですね。
今は有機野菜の宅配というのは、けっこういろんな業者がやってますよね、オイシックスだとか。
その頃も何軒かはありましたけど今ほどはなかったので、手書きコピーしたチラシでを団地に行ってポストに投げ込んだら結構連絡がきたりしました。
― 輪組ができたのはどのような経緯だったのですか。
輪屋という自然食品店のお店が東京にあったんですよ。
その輪屋さんがこっちまで野菜を取りに来ていたんですけど、そこに共同出荷をするのに輪組っていうグループを作ったんですよね。
今は輪屋さんがお辞めになられてしまったので共同出荷はなくなったのですが、グループはそのまま残っています。
― そこから今もお付き合いがあるのですね。
あまりやることはないんだけど、グループだけ残っているという状態です(笑)
― 共同出荷がなくなった今、佐藤さんがは何を中心に育てられているのでしょうか。
うちは平飼い養鶏の卵と、あと野菜は何でも作っていますね。
― 野菜を作る時にこだわっていることや気を付けてることはありますか。
有機野菜だから農薬と化学肥料は使わないということ。
あとはあまりこだわりを持ってないです。
「こだわりのナントカ」とかあまり好きじゃないですよ。
こだわると「種も無農薬じゃないと」とか言われるじゃないですか。でも僕はそこまではね。
例えば種や苗のときに消毒してあったって、それが大きくなって実がついて、その実に害があるかといったらあるわけないじゃないですか。
― でも無農薬で育てるのはやはり大変そうな気がします。いつも苦労していることありますか。
やっぱり草が生えるということと、虫で言えばダニとかアブラムシのようなとても小さい虫ですね。
大きいヨトウムシとか青虫とかそういう蛾とか蝶の幼虫だったらネットをかければある程度防げますけど、ダニとかアブラムシみたいな虫だと防ぎきれないんですよ。
そういうのはやっぱり苦労します。
― そういった小さな虫にはどう対策するのですか。
アブラムシが発生したら早めに抜いちゃうしかないですよね。
抜かないとどんどん広がっていっちゃうから。
― それは有機無農薬ならではの大変さですよね。それでこの方法で育てようと思われるのはなぜでしょう。
そのやり方しか知らないですから(笑)
― 逆に有機無農薬で畑をされていて良かったと思うことには何がありますか。
やっぱり普通の野菜だったら一軒一軒買ってくれるみたいなことはないですよね。
やっぱりいい野菜を作っているから……自分ではいい野菜だと思っているんですけど(笑)
それを個人のお客さんが買って喜んでくれるっていうのはありがたいですよね。
― 平飼い養鶏では何羽くらいを飼育されているのですか。
雛なんかも入れて700羽ぐらい飼っています。
― 養鶏も野菜もと忙しそうですね。一日どんなスケジュールで動いているのか気になります。
夏場だったら朝早くから野菜の収穫を始めて、鶏に水やりと餌やりをして途中でタマゴ取って。鳥の世話と出荷が終われば次は畑仕事ですね。
― 余程好きでないとできないですよね。
今は共同出荷も終わって、前と同じように一軒一軒回って配達しているのですか
一軒一軒配達しているのと、あと直売所にも出しています。
― 何組くらい配達をされてるんですか。
週に40軒くらいになります。あと深谷の保育園にも
― 40軒全員自分で配られるんですか。
自分で配っているところがほとんどですが、東京のお客さんには何軒か宅急便で送っています。
― 配達先は寄居が多いのでしょうか。
寄居と小川町にも少し。あと毛呂山とか鳩山ですね。
― 生産者さんが直接配達してくれるのはすごく嬉しいことですよね。
畑仕事ばっかりだったら飽きちゃうかもしれないです。
配達もやっぱり気分転換になりますから。
― 深谷の保育園というのは園児全員の分ですか。
0歳児だけですね。
配達しているお客さんがそこの保育園で働いていたんです。
― 当時、有機無農薬で野菜を育てるのは大変だったのではないですか。
若かったからですよ(笑)
今からやれと言われても無理ですね。
だから定年になってから農業をやる方がよっぽど大変ですよ。
僕が始めた頃は23だったかな。
― 一度も後悔はありませんでしたか。
やめようとまでは思わないですけど、嫌になっちゃうときはもちろんありますよ(笑)
― 最初の頃から養鶏もされていたのでしょうか。
最初は野菜だけだったのですが、3年後くらいに結婚したのでその後からですね。
やっぱり子供ができれば稼がなくちゃいけないですから。
野菜だけだとどうしても天候に左右されたり虫が発生したりして全滅とかありますから。畜産の方が安定していますよね。
― 養鶏は足りない部分を補う役割もあったのですね。
先程、若いうちだからできたとおっしゃっていましたが、これからオーガニックや有機無農薬が発展していくにはどうしていくべきだと思いますか。
発展していくんじゃないですか、放っておいたって。
テレビをつければ健康番組もやっていますしね。
だって昔は「有機農業って何ですか」って感じでしたよ。
― 有機無農薬というものが一般的になってきている感じはしますか。
なっていますよ。
昔は無農薬でやっているなんて言ったら変な目で見られましたから。
だけど今はそんなことないですし。
お客さんだってね、若い人の方が子どもには良いものを食べさせたいとなっていますし。
― 良い時代になってきていますね。
これからこんなことをしたいと思われていますか
続けるのが目標ですよ。
僕も腰が曲がってきて、いつまで続けられるか分からないですけど。
規模縮小したとしても続けていくというのが目標ですよね。
― それはやはり楽しいからでしょうか
そうですね。
やめるとやることなくなっちゃうから(笑)
今になって違う仕事やれなんて言ったってできませんよね。
― これからずっと続けていくためにどうしていくか、などの考えはありますか。
無農薬だと、やっぱりダメになるものも出てくるわけです。
とにかくたくさん作って、有り余るほど作って、それで良くできたものを出荷するという感じでね。ダメなものはダメで捨てちゃう。
そこのところもうちょっと効率よく、小規模になってもいいから確実に作れるようになるというかね。
あんまり無駄を出さないで、少なく作付けて確実にとれるように。
だから体力にものを言わせてやっていたやり方を、力じゃなくて技の方に転換してやっていくということですよね。
― いつまでも野菜を作り続けて配達して、お客さんの顔を見てという生活が続くと楽しいですよね。
そうですね。
働きすぎるとダメですけど、楽しんで続けたいです。
うん、楽しむっていうのが目標ですかね。
でも子どもが小さいころは楽しいとか楽しくないとかそんなこと言っていられなかったですけどね。
― 農業をしっかりと仕事にするというのは大変そうですが、それで食べていけるようになるにはどのような努力が必要だと思われますか。
やっぱり始めて間もない頃は、色々考えたってしょうがないですから、とにかくやるんですよ。
なんでダメだったのかなとかいろいろ考えたって仕方なくて、ダメになったらそこを全部片付けてまた種を撒くんです。
今の人はどうなのかな……がむしゃらに働くなんていうと時代には合わないと思うんですけど、それじゃダメですよ。
戦後のサラリーマンみたいに猛烈に働くしかないんです。
そうするとだんだん見えてきますから。
これは無駄だなとか、これはもう早めに諦めた方がいいなとか、こういうものをこういう時期に作ればいいなとか少しずつ分かってくるので。
古い考え方かもしれないですけどね。きちんとできればそれに越したことないですけど。
初めは失敗の連続ですよ。今もそうですけど(笑)
― 佐藤さんのお話を聞いて「大変そう」と「面白そう」が半々くらいという気がしています。
でも面白そうなことって大抵大変なんじゃないですか。
農業は大変だっていうイメージがあると思いますけど、他の仕事だってみんな大変じゃないですか。
僕だって東京で働いていた時も大変でしたし、どっちも同じですよ。
でも農業はどんな時代になっても必要な仕事ですからね。
どんな時代になっても野菜を食べたり、卵を食べたり、米を食べたり人間はするわけじゃないですか。
「こんなの作っても無駄だよ」ということがない仕事ですから。
― 大切な仕事ですよね。これからも佐藤さんが楽しくこのお仕事を続けられて、その姿を見た人が一人でも多く後に続いてくれると良いなと思います。
貴重なお話をありがとうございました。
閑々農園・佐藤 〒369-1216 埼玉県大里郡寄居町今市 228-1 ℡ 048-582-2955
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