押田さんインタビュー ~ オーガニックな暮らし ~
【押田大介さん】
株式会社 中央園芸 代表取締役社長
寄居町にて造園や庭の環境改善、剪定、移植等の植栽管理、苗木の販売などを行う。
ほかに里山等自然環境の再生事業にも力を入れている。
ー 中央園芸はもともと押田さんが始められたのですか
いえ、もともとは祖父ですね。
昭和30年あたりから植木の栽培を始めたようなので、創業65年ほど経つと思います。
以前は米や麦、養蚕をしていたのですが、その後地元の何人かで盆栽や植木をやろうじゃないかということになったようです。
今でも植木は川口市の安行あたりが有名だと思うのですが、そこを参考にして。
ー 用土は今でも植木屋さんが多いですよね
多いですね、その頃から始まったのだと思います。
用土のJA直売所も、昔は今以上に盆栽や植木などの鉢物に特化していました。
ー そこから押田さんが引き継がれたのですね
そうですね。
ただ父親は中学校の教師だったので、一代は飛んでいる形になります。
父は寄居中、城南中、男衾中に勤めていたので、「お父さんに教わった」と今でも掛けられます(笑)
ー 押田さん自身は最初から家業を継ごうと思われていたのですか?
いやいや、そんなことないんですよ。
高校も大学も普通科に行きましたし、もともとは旅行業界に行きたいなと思ってたんですよね。旅行したり、地図を見るのが好きだったので。
でも当時は就職氷河期で、どこにも入れずに……東京の大学に行っていたのですが、就職先がなかったので仕方なしに帰ってきたんです(笑)
それで、祖父がやっていた仕事を少し手伝ったりしていました。
ー 幼い頃から家業を見ていらしたでしょうから、知識もあったわけですね
多少はあったのですが・・・・・・あまりやる気はなかったですね(笑)
20代中盤で祖父が亡くなってからですね、「ちゃんとやったほうがいいな」と思ったのは。
ー そこから今のような造園もされるようになったのでしょうか
元々は「中央園芸」とう名前の通り、盆栽や鉢物のような小さい植木鉢物を扱っていたんです。
でも僕の同級生は造園をしている人が多かったので、その影響もあって造園の仕事をするようになっていきました。
園芸の仕事はほぼ自宅にいることが多いんですけど、造園の場合は毎日違う現場に出ていくので、その方が自分に合っているなと思って。
ー 旅行業界を目指していらしただけあって行動派ですね。
今でも旅行は好きですか?
そうですね、でも今は出張で色々な場所に行くようになったんですよ。
それで、仕事のオファーをいただいて様々な地域に行っているうちに「あれ、これは旅行になっているな」と思って。
夢が叶いました(笑)
ー 知らず知らずのうちに夢が叶っていたんですね(笑)
出張はどこまで行かれるのですか?
いま参加している「大地の再生」という活動だと全国になりますね。
北海道には行っていませんが、東北から九州まで。
でも流石に少し行きすぎたなと思って、今は関東支部という括りの中でやっています。
それでも鎌倉など少し遠いところも行きますね。
ー「大地の再生」ではどんなことをされているんですか
大地を再生する活動です……(笑)
例えば土砂崩れが起きれば、なぜそうなってしまったかを環境から考えて、そういった災害を事前に防ぐための手立てを考えていく。
その土地の自然と人間が共存できるようにしていきます。
あとは個人のお宅の庭工事もやりますね。
それも、水捌けが悪いとか木が弱ってるとか、なぜそうなっているかをしっかりアドバイスして、処置をして再生させたりなどですね。
それで、これはオーガニックかなと思いますけど、できる限りその場の自然素材を使って対処するようにしています。
枝とか葉っぱとか。
ー 押田さんは、土の中の環境や水捌けなどについてとても力を入れられていますよね。
そういった方向に進んでいったきっかけは何かあったのですか
きっかけは東日本大震災ですね。
それまでは街路樹の剪定や公園の芝刈り、草刈りなどをする普通の造園屋さんでした。
ただ街路樹の剪定をする時に「こんなに切らなくてもいいのにな」と思ったりすることがあったんです。
とは言っても仕事なので、指示通りにしないといけない・・・・・・そこに矛盾を抱えていましたね。
そこに震災がきて。
緊急事態になると人間、食べることや住むことだけでいっぱいいっぱいになりますよね。
その時「これはまずいな」と思って。
緊急事態であっても社会に必要とされる仕事をしないとダメだと思ったんです。
それなら何をすればいいんだろうと色々調べるようになり、2年くらい仕事もやる気がせず模索していました。
その模索の中で、環境改善の庭づくりに取り組んでいる千葉県の「高田造園設計事務所」さんだったり、「大地の再生」の矢野智徳さんと出会ったんです。
そういった方々の考え方に共感して、僕も今の方向に進むようになりました。
ー 押田さんは最近の土地利用の仕方についてどう思われていますか
最近の開発は自然の摂理を無視したものが多くなっていますよね。
宅地やメガソーラーの開発でも、とにかく経済や効率性が優先されるので、地形を無視し、何でも平らに地形を造成しようとします。大きな木もどんどん切ってしまったり。
するとそこにあった水脈が壊れてしまい、おかしなことになるんです。
昔は田んぼだって、地形を活かして棚田になっていましたよね。
水脈や地形を壊してはいけない、ということが分かっていたんだと思います。
昔の土地の利用の仕方というのはとても良く出来ていますね。
寄居町でも、大木がどんどん減っているように思います。
ー 最近は大雨での土砂崩れなども増えていますよね。
やはりそういった水脈の破壊にも原因があるのでしょうか
そうだと思います。
世間は「異常気象」だけで片付けてしまいますが、僕達は人災だと思っています。
そして土砂崩れしたところをコンクリートで固めてしまう。
だからまた崩れるんです。固めれば固めるほど崩れます。
「抜き」がないから。
水脈は人の血管によく例えられますが、水脈の停滞は人でいう動脈硬化みたいな感じです。
でも声をあげてもなかなか世間には届かないんですよね。
ー 多くの人に届けていくのはなかなか難しいですよね。
そうですね、だから個人のお庭の仕事でも、とにかく木を植えています。
点と点がつながって線になるようなイメージで、あちこちに植えてますよ(笑)
樹木が水脈のつなぎ役ですね。
ー 押田さんは「大地の再生」以外にも様々な地域の活動に力を入れられていますね
やりすぎですよね(笑)
でも最初の頃は外部のことばかりで、地元のことなんて何も知らなかったんです。
でもやっぱり外で勉強したことを、最後は地元に落とし込まないといけないと思うようになって。
色々と関わっていたら「これは僕の分野だな」というのがどんどんでてきてしまいました(笑)
ー 市街地は既にコンクリートで覆われているところが多いと思いますが、その状況から土の中の環境や水脈を再生していくことはできるのでしょうか
何とかできると思います。
そのためには街路樹の役割がとても大きいと思っています。
寄居町でいうと、鐘撞堂山から荒川までの間の市街地に緑がとても少ない。
だから、水脈をつなぐ意味でも、街路樹や大木が必要なんです。
それと街路樹というと、同じ種類の木が同じ高さ同じ大きさで並んでいますが、まずはその固定概念から抜け出した方がいいと思っていて。
そもそも森の樹木は一本で生きている訳ではなくて、大きな木から中くらいの木とか小さな木が一つのチームになっているんです。
だから街路樹も森と同じように、いろんな木が植えられていた方が良いと思うんです。
理想は、在来樹種の寄せ植えが良いと思っています。
ー 街路樹の役割はとても大切なんですね
とても大事です。
あとは井戸も大事ですよ。
井戸は普通10メートルくらい地下にありますが、井戸を使用することで地下の水脈と連動し、循環が起きるんですね。
囲炉裏も同じ、火を使う事で大地の空気に循環が起きる。
井戸も含めてやっぱり昔の暮らし方は凄い。
環境が息づいているんですよね。
ー 今は手入れの大変さから、家に庭を作る人が少なくなってきました
その固定概念も払拭したいですね。
木を植えて庭を作る事は、本当は必要なものだと。
本来は樹木を通して大地に浸透させていた水を、今はただU字溝に流すようになってしまっています。だから洪水が起きやすいんですよね。
災害を防ぐためにも樹木や庭は必要です。
ー 押田さんがお庭作りで提案するに当たっては、土の中の環境や水脈などのほかに、なにか気にされているところはありますか
そうですね、やっぱりローメンテナンスであることですね。
うちのお客様は30代から40代が多いのですが、お客様の両親に言われたりすることはあります。
「木を植えたら大変だぞ」みたいな(笑)そんなことないんですけどね。
土の中の環境を整えることは必要なのですが、剪定をし過ぎず、なるべく大きく育ててあげれば、それほど手入れの手間はかかりません。
ー 最近は昔に比べて社会全体が少し神経質になっている気がしますよね
そうでね、とにかく落ち葉に対して神経質な方が多い。
本当は立派な資源なのですが。
ー 他にも今、押田さんが取り組んでいることはありますか
あとは無農薬でつくる葡萄畑の整備をお手伝いしています。
無農薬で葡萄を作るというのは大地の再生につながると思ったので、半分実験のような感じでも挑戦してみたいなと思って。
ー 無農薬と大地の再生というのは、密接に関わってくるものですか
大きいですね。そういう相談も多いです。
無農薬の作物は、土の中の環境が全てだと思っています。
薬を撒けばコントロールはできますが・・・・・・。
安全なものを作ろうとするなら、土の中のこともしっかり読み取らないと。
ー 畑だけではなく、その周りの環境によっても左右されたりするのでしょうか
その畑だけではなく、その下流にある川がコンクリートになっているかなどによっても変わりますね。
そこで水脈が詰まっているな、となればどういう処置をしたらいいかを考えます。
結局畑だけでは無くて、その周りの環境がかなり大事で、それが少しずつ畑にも作用するので。
ー ではこれから無農薬やオーガニックの野菜づくりをはじめるなら、全体のことを考えた方がいいのですね
極端に言えば、大地は山から海まで繋がっていますからね。
畑だけの整備でもいいのですが、もっと広い視点で見た方がいいと思います。
そこだけではどうにもならないこともあるので。
ー そういったことは、やっぱり押田さんのようなプロからのアドバイスがないと分からないですよね
分からないかもしれません。
こういった考え方はあまりないと思うので。
僕はもう最近、自分のやっていることは普通の造園屋でもないなと思って、もう何を目指しているのか、どこに向かっているのか分からなくなってきています(笑)
ー 確かに造園業だけでは説明が足りない気がしますね
林業にも農業にも関わるので、全てのベースだと思っています。
林業も農業も、細かいことは分からないですけど、土壌ということではみんな繋がっていますからね。
ー 人の命に密接に関わることですよね、災害や食べることにしても
建物も土壌によって耐久性も違ってくると思いますしね。
ー これからの押田さんの展望はありますか
地元に関してはとにかく緑を増やしたいです。
今も木箱に木々を植え込んだものを試験的に作っていますが、本当は大地に根を張らせたい。
でもなかなか抵抗もありますしね、商店街なんかも植えるスペースもないし。
でも木箱だったら置けるじゃないですか。
だからまずはそれで普及させて、そこから植えてもらいたいですね。
寄居の人はみんな荒川を大切にしているから、それが川のためにもなるということに気付いてもらって。
木を植えることによって、夏も涼しくなるし、災害にも強くなる、川も綺麗になると思うんです。魚も戻ってきますし。
そうやって「もっと木を増やさないと」とみんなに意識してもらえるところ園芸まで持っていきたいです。
あとひとつ、母親の実家が毛呂山町にあるんですね。
毛呂山は杉やヒノキの人工林ばっかりなのですが、そこで人工林の再生の活動をやったりしています。
そこの古民家に集まってみんなでご飯をつくって食べたり、山に入って整備をしたり。
色んな人が自由に入れて、極端にいうとお金がなくても暮らしていけるような、
そんな緩いコミュニティづくり。
例えていうと縄文村ですかね。
そういうコミュニティがあちこちに点々とあって、色んな年代の人が関わっていける仕組みができたらいいなと。
ー そういった活動がどんどん増えていって、その中心地が寄居になるといいですよね
寄居は結構、共感してくれる人も多いですよね。周りの人も入りやすい状況ですし。
でも寄居だけにこだわらず、小川や都幾川、毛呂山とかそれぞれの地域とも繋がりながら活動したいと思っています。
この八高線沿線の里山エリアは結構面白いですよ。秩父とは違った良さがありますね。
ー 本日は貴重なお話をありがとうございました
株式会社 中央園芸 〒369-1201 埼玉県大里郡寄居町用土 2308-2 TEL/FAX 048-584-0868
<<編集後記>>
東日本大震災を機に、自然や、それに関わる自身の仕事についての価値観が変わったという押田さん。今でも被災地では復興事業が行われていますが、自然の摂理を無視した復興方法には様々な危険があることなどもお話ししていただきました。押田さんの熱い思いに触れ、里山や街路樹などの自然環境の大切さに気がついたインタビューとなりました。