2022-06-05

有機農業グループ「よりい輪組」の結成から「耕す会」の発足へ

菜園 野の扉・伊藤さんご夫妻に、地域の有機農業グループ「よりい輪組」について、結成の経緯や現在の状況等のお話を伺いました。

かつて、自然食品店「輪屋(りんや)」との縁で、そこに共同出荷するグループとして発足したのが「よりい輪組」のはじまりでした。

2011年3月11日東日本大震災があって、その時の原発事故の風評被害として「もう東日本の野菜なんか食べたくない」っていうことになり、輪屋も店を閉じる事になり、同時に輪組からの野菜の共同出荷も無くなりました。

輪屋は閉じても輪組は続けていこうということで、情報交換の場として「輪組」を続けていました。

また一方で、震災が起こって、我々の活動も地域と関わって行くべきということになって、「耕す会」というの会もつくりました。

 

ところで、輪組という取り組みはどのように生まれたのでしょうか。

奥様「皆農塾」という脱サラの農業者を育てる研修を行っている農業塾があって、私たちはそこで研修をしたんです。

他にも同じように研修して、何年かしてこの地で独立したっていう人たちがいて。

ご主人: それと町の農林課が絡んでいる育成塾などで出会った方々……そういった方々との集まりが「輪組」ということになっています。

そもそもなぜ「輪組」が始まったかというと、東京に自然食品店「輪屋(りんや)」というお店があって、そこに共同出荷するグループとして発足したのがはじまりなんです。輪屋はかなり大きくて、すごい販売力だったんですよ。

奥様:私たちは2000年に有機JASを取得したんですが、そうすると「オーガニック電話帳」というようなリストに名前が載るんですね。

それを見て輪屋さんがうちにコンタクトを取ってきて。

私たちは93年に独立したのですが、はじめは近場の家のインターホンを押して営業するという形を取っていました。

当初はそうして売り先を広げていたのですが、続けていくうちにどんどん先細りしていって、販路が確保できないような状態になっていて。

ご主人:その頃、私たちは有機認証を取得したので、周りの農家さんと一緒に学習会をしたりしていました。

それで私たちが輪屋と付き合い始めたときに、若い人たちみんな出荷先が必要だということで輪組を作ることになりました。

奥様:それまでは近場でも、毎日自分たちのことで精一杯で、人の畑も見に行けないし、車ですれ違ったら挨拶するぐらいの関係だったのですが、共同出荷で品目を調整したりすることで交流ができてきて。

ご主人:初めて交流したっていう感じですね。

奥様:月イチで交流や会合、例会を開いたりすることとで関係性ができてきました。

例会はコロナ禍になる前までは続いていましたね。

ご主人:一方で東日本大震災があって、我々は東京に出荷していたけれども、その頃はもう東日本の野菜なんか食べたくないっていうことになっちゃったんですよね。

輪屋も大きなビルを手に入れて拡大を始めた途端だったのにそんなことになってしまって……それですっかり頓挫して、輪屋も店を閉じる事になって。

奥様:輪屋への共同出荷は7、8年続きましたかね。

で、輪屋に出せるようになったので、うちはもうJAS認証を辞めちゃったんですね。

まあ認証はお金もかかる手間もかかるけれど、その割にメリットがそんなにないっていう状態だったので。

ご主人:ただね、その学習会をみんなで始めた時点では、今後有機としては認証がなければ売れなくなってしまうという危機感があったんですよ。

だけど実際のところは、店頭で「有機野菜」など表示したりしなければいいという事になって。

輪屋の経営者さんも、JAS認証の野菜でもかなり農薬を使っていることを調べて、それならば全く使わない方がマシ、認定なんかいらないっていう考え方をされていたのでまったく必要なくなったんです。

それで今も、やっぱり有機JASマークは拡大していないですよね。

我々も止めたし誰も続かなかったし、それで良かったかなと。

時間は相当費やしたりしたけど。

だけどそれがきっかけで出会いがあったり、いろいろなグループができてよかったかなとは思います。

奥様:輪屋さんと出会えたのが唯一収穫っていう感じですね。

 

― でも輪屋さんが閉じてしまったのはすごく痛手でしたね。

ご主人:そうですね。

どうしても共同で出荷するとなると、当たり前ですが収穫物って重なるんですね。

それを調整したり、みんないろいろ気を使ったりしながらやるっていう作業は、これは骨が折れるけれども、それぞれがお互いのことを考えるっていうきっかけにはなりましたね。

同じ野菜を出すことで切磋琢磨することになり、品質の向上にも役立ったと思っています。

でも輪屋が閉じてしまい、「じゃあ輪組というのはもう意味がないかな」というような考えにもなったんですけれども。

だけどみんな、続けていこうというか、まあ会うことだけは続けようとなって。

それでいろいろ、耕作や資材などについてお互いに情報を教えあったり、「今こういう害虫が出てきたよ」とかそういう情報交換の場として続けていました。

また一方で、ちょうど震災が起こって、我々の活動も地域に入り込んでいくべきということになって、「耕す会」というのができました。

その「耕す会」の最初の力関係においてはそんな中核ではないかもしれないけれども、その言い出しっぺみたいな部分を輪組の人たちが共有して、それで地域の中に入っていったと。

「耕す会」で地域の人々と共に最初に行ったのは原発関連の請願だったんですけれども、その後すぐにイノシシ被害がものすごい勢いで出てきて。

それで山問題とかそういったことを地元の人と輪組で考えていきました。

地元のなかでの新参者っていうか、新規就農者としてまとまっていましたね、輪組は。

奥様:共同出荷をやってるときにはあんまり地元との関係性はなかったんですけどもね。

 

― コロナ禍の今でも「耕す会」は活動されているのでしょうか。

奥様:2020年の11月が最後ですね。

夏も何もイベントもできなくて、11月に草刈りをしたのでその時にお弁当を作って手渡したりしました。

ご主人:そのお弁当も輪組が提案・実行したりなどして、地域の大きなまとまりの大事な部分を担っているというところですね。

 

― 「耕す会」は輪組以外にこの辺りの農家の方が中心になっているんですか。

奥様:農家に限らず、地元の住人の方々ですね。

ご主人:今は50人ぐらいになっています。

 

― 農家でなくてもイノシシの被害はありますからね。

奥様:農業で稼いでなくても畑はありますからね。庭先横切ったりするわけだから。

 

― ほっくり返し始めるとひどいですからね。

奥様:山は地元の人たちが持っているわけですからね。

輪組は土地もないし山もないんだけど、そこで暮らしをして生計をたてているっていうことで、一緒に。

 

― 今、輪組のメンバーは何人くらいいるんですか。

ご主人:輪組は10人ぐらいかね。

 

― 「耕す会」は何年くらい前からあったのですか。

奥様:2011年の秋に設立されて、町への請願などをしたり、踊りや健康について活動したりしていましたね。

 

― 荒れた山の下草刈りをしたら本当にイノシシが出なくなったという話を耳にしたことがありますが、やはり効果は大きいんですか。

ご主人:そうですね、「耕す会」としていろいろするのと同時に、猟師さんとの関係ができて、一緒にワナを仕掛けたり点検したりとかもね。

捕獲の時に実際に行って手伝ったりして、十数頭をそこの山で捕まえたわけですよね。

奥様:もっと多かったような気がするけど(笑)

ご主人:でも20頭はいないと思う。

奥様:もう寝床というか繁殖地になっていたんですよ。そんな深い山じゃないんですけど、なんとか繁殖地ではなくなったというのが4、5年前かな。

ご主人: そうやってかなり猟師さんも頑張ったっていうのと、あとウイルスですよね、やっぱり。

鳥インフルと豚ウイルスと人間のコロナなどいろいろ襲いかかってきましたね。

イノシシなんて、最初は自由気ままにやってるから倒れることもないだろうというか、罹ったとしても……と思ったら意外にやっぱり野生っていうのは大変なんですね、生きるのがね。

仲間の猟師が山に行ったら何頭も倒れて死んでいたなんてね。群馬の方ですけど。

増えれば増えるほどやっぱり人間の側にも圧がかかってくるけれど、そっちが空洞化しちゃったから圧があんまりかかってこなくなったんですね。

それで今は例が少ないんですけどね。

そういった状況と我々の頑張りと両方でということですね。

ただ、もしかしたらまた始まっているかもしれない。

 

― でも今は電気柵まで使うほどでもないんですか。

ご主人:電気柵は全部しないとですね。

サツマイモを植えるじゃないですか。植えてまだ刺してあるだけなのにほじくり返されるぐらいでしたら。

私は毎日、鷹巣とかの畑をまず朝の行きがけにバッと確認して、こういう動きだなと確認して、それでYさん(猟師?)と連絡を取り合っています。

一番大変なときは、「今日はここに何頭、今日はここに何頭」とかそんな感じでやってましたからね。

もうすごかったですよ、本当に。畑で争いみたいなのもあったりね、イノシシ同士の。

奥様:地元の人も危機感があるから、一緒に。

人の家の山なわけですよ、言ってみれば。

だけどやらなくちゃという気持ちをみんな共有できたんですよね。

そのためにはいろいろ、ここに出たとかあそこに出たとか、出没した地図を作って皆さんにニュースで出したりとか。

ご主人: それをずっとしてました、その頃はね。

ただ個々の人たちは受け取ってくれるけれども、区としては取り組むことはできないということになって。

なかなか難しいんですよね。目標としては区がちゃんと絡むこと……イノシシとか森や山の問題に絡むことというのが目標だったけど。

一応、「耕す会」と鷹巣・西古里区で話し合いを持つことはできたんだけれども。

「耕す会」も高齢化が進んでいるから、いつまで……今度本当にイノシシが爆発的に出てきたら対応できるかというと、俺はもうあんまりできないなと。

なかなか発展しないですね、本当は町がちょっとでも絡んでくれるといいですけど。

まったくそれはダメですね。

奥様:まあ電気柵の補助、それだけですね。

 

― 町とするとイノシシの被害、害虫被害などは多くないと思っているのでしょうかね。

ご主人:いやそんなことはないと思いますよ。

元農林課長さんを捕まえて1時間ぐらいガーッと話したりしましたし、ちゃんと聞いてくれた農林課長も何代かに渡っていらっしゃいました。ただ、一生懸命聞いてはくれたけどできないという。

 

― 最近は山だけではなく住宅街にもイノシシ被害が出てますよね。

ご主人:一時、畑の入口にある自動車修理屋さんから、「獣害で車が壊れたというのが大変多いんですよ」と聞きましたね

シカとイノシシの両方で。すごかったですねその当時は。

 

― 去年私も出掛ける途中大きなイノシシが横切ったところに遭遇しました。

奥様:やっぱり山が荒れてるんですね。

ご主人:でも、近くの猟師さんはジビエを出せるようにまで自分で投資をしたけど、イノシシがなかなか取れなくなったりしていますね。

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